出来れば、嫌な感情を持たずに生きていければいいのに、と思いませんか?嫌な感情は誰しも避けたいものです。
ただ、嫌な感情は不要なものでしょうか?
気持ちはわかりますが、メータのない状態で自動車の運転をしている状況です。
バシャールやエイブラハムが感情について、ポジティブな感情に従っていきましょう、という主旨の事をいっています。バシャールでいれば「ワクワク」、エイブラハムで言えば「ボルテックス」、好ましい感情を生む選択を継続していくことの重要性を示しています。
では、嫌な感情を否定しているでしょうか?
二人とも(集合意識なので二人という表現が適切なのかはさておき)、出来事自体は良いも悪いもなく、「ニュートラル」であると言っています。出来事に対して、どう反応するのか?ということは自分が選択できるとも話をしています。
嫌な感情は、本来の自分との乖離がある場合に、発生するものです。
嫌な感情は、自動車で言えばメータのようなものです。自動車でガソリンが、どれぐらいの状況か?スピードがどの程度出ているのか?ということが分かるので、必要なタイミングで給油をしたり、スピード違反を取られないように、速度を落としたりすることができます。
もし、ガソリンが少なくなった事が分からなかったら、どうでしょう?
昨日まで順調に動いていたと思ったのに、急に自動車が止まってしまいます。
嫌な感情もそれと同じです。嫌な感情が出てくることは、本来の自分との乖離を表すメッセージなのです。ガソリンが足りないことをメータで分かれば、どうするでしょうか?ガソリンがなくなって嫌だな、面倒だなと思いつつ、給油をします。そうすれば元通りです。
全く同じです。ガソリンが足りないという出来事はニュートラルです。良いも悪いもないのです。給油をするということは、一瞬嫌な感情を持ったとしても、事実を認識したうえで、それを選択せず、好ましい方向性(ガソリンがある状態)を選択するということです。
嫌な感情を我慢している人は、生きていく上では、多少の嫌なことは抱えて行かなければならないと考えていがちです。全く誤りです。その考えが嫌なことを手繰り寄せているのです。まずはガソリンメータに敏感になること。次になくなったのであれば、給油をすること。シンプルにこれだけです。
とは言え、具体的なアクションについてお話します。
嫌な感情が起きたら、何が嫌なのか言語化することです。嫌な感情は、本来の自分との乖離といいましたが、その根底には恐れ、避けたいこと、があるはずです。
まず、その本質に気づきましょう。
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