引き寄せの法則(満たされている感覚を持つ)
引き寄せの法則では、欠けていることを欲するのではなく、既に満たされているという感覚を持つことが、大切です。ですが、そもそも「ない」から欲しいのであって、「ない」のに「ある」という感覚を持つことは難しいのも事実。今日は「ない」段階から「ある」という感覚を持つための考え方3選を紹介します。
今回は順番も重要な要素になってきますので、1番目から順にトライしてみてください。
1.日々の出来事を「ある」目線でこじつけてみる
こんなことがあります。
例えば、私は子供がいますが、普段リモートで仕事をしているときは、食事を作って子供たちと食べます。仕事もあるので、息子に手伝いをお願いすると、娘に手伝いをお願いしていないことを不満として訴えます。自分だけ手伝いをするのは嫌だ、不公平だ、という主張です。
これって、実は皆さんの身近にも同じようなことが多くあると思いませんか?
例えば、仕事だと、、、
などなど。こんな発言が聞こえてきませんか?
自分はそういう事を言わなくても、周囲にそんな発言をする人はいないでしょうか?
ここで意識して欲しいのですが、不満の多くは、他の人が「ある」(楽そうな状態)ことを比較対象にして、自分の「ない」ことへの不満を言っています。私の息子の例だと、自分が手伝いをお願いされて自由が「ない」状態になるのは嫌だけれど、その前に、妹は手伝いをするように言われず、自由が「ある」のは許せない、ということです。
もし、今日々悩みながら生きているとしたら、自分自身、もしくは周りにはそんな言葉が少なからず存在していると思います。
実はこれが気づくためのチャンスです。
少し意識して聞いて欲しいのですが、逆のことは言わないのです。
息子の場合、私が食事を準備していること、別の兄弟は他の手伝いをしていること、そうした周りが自分のためにしてくれていることは全く触れません。よく考えてみれば、親だけが動いている、他の兄弟だけが動いていることも不公平なはずですが、子供の言う不公平は自分だけが損をしている、という目線だけなのです。
損得で表現するのは適切ではないかもしれませんが、分かりやすいので比喩として使いますと、自分だけが損をしている、という他に、自分だけが得をしている、こともあるのです。
違うパターンもあります。自分ではなく人を話題にして、主張するケースです。
自分以外の人を例に出し「Aさんはいつも一生懸命で大変頑張ってくれている、、」と自分がAさんから与えてもらっている事を感謝すると思いきや、大体そのあとに「にも拘らず、Bさんは全く仕事をしてなくて暇そうでけしからん」が続きます。これも「ない」に焦点があたっています。
更に、このケースで良くあるのが、続きとして「だから何とかしてほしい」です。「ない」に加えて他責です。
ビジネス的には「だから、私がどうしたらいいのか考えます」や「私は是正するようにこういう取り組みをしています」という発言が続くと素晴らしいのですが、まぁ、そんな言葉が出ることは皆無です(笑)そういう人はそもそも前段時点で「けしからん」というだけの発言をしません。
2.出来事の裏面を考えてみる
これと同じように、私たちは何か望まない出来事があったときに、その悪い側面だけを見がちです。例えば、ケガをしてスポーツを諦めざるを得なかった、病気をして仕事を辞めざるを得なかった、お金がなくて学校に行けなかった等々。
それでも前向きな人は、悪い出来事が起こって、私は機会を失ってしまった。それを悩んでいても仕方ないので、リカバリできるように頑張っていこう、と考えて行動に移すと思います。前向きに進もうという意識は良いのですが、そもそも、この前提の考えがあっているのでしょうか?
敏感な人は気づいたと思います。
この発想は先に書いた「ない」の発想と構造が全く同じなのです。
病気がなければ、ケガがなければ、お金があれば、「私は幸せになっていたはずだ」もしくは「私は幸せを掴むチャンスを得ていたはずだ」という、大前提が、不幸な出来事がなければ得をしていたというストーリになっているのです。
本当にそうでしょうか?
病気になったから、ケガを負ったから、お金がなかったから、気がづかない所で、最悪の事態を避けることが出来た、そんな可能性は1ミリもないのでしょうか?
もしスポーツをしていたら、後の試合で大けがを負って歩行も困難になっていたかもしれません。仕事をやめなかったら、酷いパワハラ上司に会って悩みに悩んでいたかもしれません。学校に行っていたら、退廃的な日常を過ごしたままだったかもしれません。
逆もあります。スポーツの道が閉ざされたので、ビジネスの道に入ったが、もうちょっと遅ければ、同世代のリーダのもとで下積みをしなければならなかった。病気で仕事が出来なくなったが、ちょうど家族の転勤や出産と重なり、家族の重要な時期に多くの時間を過ごすことできていた。お金がなかったので気が付いたらお金のノウハウを貯めていた。等々
物事は表面だけではありません。必ず裏面もあります。陰と陽があるように物事全ては、表と裏で一つなのです。
都合の悪い面だけを見ていてはいけません。
3.「ある」ものを書き出してみる
ここまで、思考を整えた上で、最後に行動です。それが「ある」ものを書き出すことです。
ここで注意が「ある」ことを当たり前だと思わないこと。
少し極端に聞こえるかもしれませんが。「ある」ことが「奇跡」と考えてみましょう。パートナーがいるとか、お金があるとか、受験が上手くいったとか、そうした成功も「奇跡」でよいのですが、
実は当たり前だと思っている
- 今生きている
- 健康で動ける肉体がある
- 言葉が自由にしゃべれる
- 仕事がある
- 食料や水に困らない
- 寝るところがある、もしくは家がある
- 家族がいる、もしくは友達がいる
ということも世界の目線からすれば「奇跡」です。愛情のある家族や友人に恵まれた、スポーツが人より上手にできた、田舎で美味しいモノを自由に食べられている、家賃がかかっていない、などだったら、本当に奇跡です。
ひょっとしたら、自分は家族や友達がいなくて一人だ、とか病気やケガで自由に動くことが出来ない、うまくしゃべれないという人がいるかもしれません。そんな人はこう考えてください。
- ネットが充実したこの時代に生きられている
- SNSを通して様々な人とつながることが出来る
- ネット社会では文字を通して、空間の枠を超えて自由に動ける
- Youtubeやブログを通して自分を表現できる 等々
ここでも、SNSで誹謗中傷などを受けたとか、情報を発信しても誰も見てくれない、という思いもあるかもしれません。これもさっき言った「ない」面だけを見ています。他の方は労いの言葉も掛けてくれているかもしれませんし、誹謗中傷の中にあなたが今まで目をつぶっていたクリアする課題があるかもしれません。仮にそれがなくても、あなたは他のSNSで労いの言葉をかけてあげればよいのです。誹謗中傷が疲弊することを気づけたので、それがない世界に移ればよいのです。
情報発信をしても誰も見てくれないということは伸びしろがあるということです。情報発信を誰かに見てもらえるようにする工夫や知恵は、多くの方が発信されています。それも有料級の情報がゴロゴロあります。昔と違って、そんな情報も無料で簡単にアクセスできるのです。私は長くITや通信の仕事をしていますが、2000年以前からすれば今は奇跡的な環境です。
まとめ
まず、自分は満たされているという認識になることが必要ですが、無理に「ある」と思ってしまうと、逆効果です。この記事でノウハウを書きましたが、実は順番が大切で、最初に「ある」ものを書き出してみようとすると、どうしても絞り出す、という感じになってしまいます。
ですので、一旦、心を落ち着けて、誰かに支えてもらっていることはないのか?不幸だと思っていた出来事の裏側で気が付かないうちに受けていた恩恵は何だろうか?ということを考えるトレーニングを少ししてみることで、自分の身の回りは「ある」に囲まれていて、それは奇跡なのだということが分かってきます。
その上、自分に再認識させる上でも、書き出すと、本当に「ある」状態にしてもらっていることがわかります。何か強み望みがあれば、シンクロニシティに従って行動すれば、必要なモノは自然と引き寄せる、という確信につながり、望みは現実化していきます。
一朝一夕にはいきませんが、私も含めて少しずつ日常を変えていきましょう。
コメント