引き寄せの法則に騙されない

宇宙の法則

引き寄せの法則に騙されない。

引き寄せの法則は昔からあるので、中には願望を持つ人にアドバイスしてお金を得ることを目的にして、あまり幸せになりそうにない考えをベースにしているもの見受けられます。
今日は「誤った引き寄せの法則に惑わされない」ということについて書きたいと思います。

以下が含まれていたら、幸せにならない考えが混じっています。

  • 必ず欲しいモノが手に入る
  • 努力も行動もいらない
  • 幸せになるには何かが必要
  • 恐怖がベースになっている

それぞれについて解説していきたいと思います。

必ず欲しいものが手に入る

え?そもそも引き寄せの法則って、欲しいモノを手に入れるための方法では?そのように感じたと思います。その通りですが、引き寄せの法則は、特定の結果に固執してしまうと、行き止まりになってしまいます。別の記事にも書きましたが、欲しいという気持ちは大切ですが、一旦それを横において、願いが叶った感覚で行動し、シンクロニシティに従って更に行動を積み重ねていくことが重要です。

引き寄せの法則が上手くいかない理由とは?

正しく感じて行動すれば、やがて望む目的地につきます。
しかし、その時、欲しいと思っていた特定のモノが手に入っている、という訳では必ずしもありません。例えば、パートナーが欲しいと思っていた人が、引き寄せの法則で付き合うことが出来たします。しかしそれは、最初に付き合いたいと思っていた人ではなく、全く別の人だった、ということも十分にあり得ます。

ただ、正しく法則が使えていれば、新しい人と付き合った時に、最初に好きだった人のことは忘れているか、全く気にもならなくなっているでしょう。

そして、その幸せな状態の時に、もし自分が最初に戻れたとしたら、どういう道を選びますか?最初に付き合いたいと思っていた人は選ばないでしょう。「必ず欲しいモノが手に入る」という謳い文句なら、それは願望ではなく、欲望がベースになった誤った考えと捉えた方がよいと思います。

私たちは幸せになるために生まれてきています。幸せになれるように設計されています。特定のモノに依存する必要はないのです。必要なモノ・͡͡コトは引き寄せます。

努力も行動もいらない

引き寄せの法則の中には、努力がいらない、行動がいらない、という楽をして結果を得るという事を推奨しているものが見受けられます。願望ではなく欲望をベースに、そこをくすぐることで、悩める人からお金を得よう、というビジネス的な狙いが透けてみえます。

とは言え、努力がいらないということは、ある意味で正しいと思います。

努力というと「しなければならない」という感覚です。これは確かに不要です。ワクワクすることに基づき行動することは「しなければならない」という感覚と対極に位置します。
「したいからする」「気がついたら続けている」「すること自体が楽しい」ということです。

そういう意味で努力は不要ですが、行動は必要なのです。

欲しいモノはなく、生きているだけで幸せ、という方もいるかもしれません。その境地に辿り着いているのであれば、引き寄せに行動は不要という解釈も成り立つかもしれません。
しかしながら、そんな境地に立っているのであれば、もはや引き寄せが完了してます(笑)法則に興味など沸くはずもありません。

高次の世界では、思えば欲しいモノが実現します。旅行であれば、瞬きしたら目的地につくという瞬間移動のようです。ただ、それが普通な世界は移動の楽しさはないでしょう。

100%勝つことが出来るゲームやスポーツって楽しいですか?

例えば、私は麻雀をします。欲しい牌がこないと、超次元的な力で何とかしたいと頻繁に思います(笑)しかし、もしそれが100%出来たら、麻雀は全く楽しくなくなり、直ぐに止めてしまうでしょう。

物理世界の醍醐味は、制約です。また高次の精神に辿り着くための過程を楽しむことです。制約の中でも、高次の世界とつながり幸せに生きられるように設計して生まれてきていますし、何らかしらのチャレンジを設定しています。

ほとんどの皆さんは遊園地に行ったことがあると思いますが、ゆっくり平坦なジェットコースターに乗りたいですか?怖くないお化け屋敷に入りたいですか?

日常生活において、お化け屋敷のような怖い体験(怖くない人も多くいると思うので、そんな方は富士急ハイランドに行ってみましょう)や、ジェットコースターのような高い位置から急激に落下したり、一回転したりする、命の危険を感じることは、まずないでしょう。

日常生活が安心して過ごせるから、安心できない非日常を求めるのです。私たちは、何でも思いが簡単に実現する高次の世界から、この地球という物理世界に望んで生まれてきています。制約は楽しむためにあります。

一方で私たちは、宇宙の存在の一部です。宇宙の法則に従った生き方ができます。感情は私たちを正確にナビゲートする羅針盤です。行動は、宇宙のアドバイスに対する返事です。

それに従っていきれば、この物理世界を思うように生きることが出来ます。
生まれた時に一旦忘れていますが、自分を正しく思い出して行動すれば、必要なものを必要なタイミングで引き寄せます。

動きがエネルギーです。寝ていれば、物事がかなうということはありません。ここでいう動きは物理的な運動とは少し異なる気がしています。私たちの感覚でいうとアウトプットです。アウトプットが重要です。行動が全くできていないというのもそうですが、インプットだけというのもそれだけでは、NGです。

食事でもそうですが、インプットだけでは、メタボになってしまいます。
排泄として不要物を出していくという方法もありますし、運動してエネルギーを消費するという方法もあります。いずれにせよアウトプットが大切です。

アウトプットというと、おおげさに考えがちですが、自分からアクションをすることです。
人に声をかける。SNSで情報を発信する。新しい店に行ってみる。料理を作ってみる。誰かを手伝う。旅行をしてみる。文章を書いてみる。誰かに対して発信するような表現に近い行為であればなおさらアウトプットの質は高まるでしょう。

幸せになるには何かが必要

私たちは幸せになるために必要なものは全てそろっています。後は幸せになると決めるかどうかです。幸せになるために、何かが欲しいと思う事は特に問題ありません。私もいろいろ欲しいです。皆さんも車が欲しい、いい家が欲しい。パートナーが欲しい、生きていれば色々望みがあるでしょう。これが行動のモチベーションであり、人生を楽しませてくれるものであり、新しい世界を教えてくれるツールです。

しかし勘違いしていけないのは、これがなければ幸せになれない、というものはありません

何かを買わなければ幸せになれない、どこかに行かなければ、幸せになれない、そんなものはありません。幸せな状態は、高次の世界により近い状態。物理の制約が条件になる、などということはありえません。

また、幸せになる過程で必要であれば、必要なモノを引き寄せます。手に入れることが必要なモノであれば、必要なタイミングで手に入れる環境が整うでしょうし、どこかに行く必要があれば、そこに自然といくようになります。「なければならない」というのは間違いと考えてよいでしょう。

恐怖がベースになっていることはない

先程の「なければならない」ということと同じですが、恐怖がベースになっていることはありません。宇宙の法則では、不安・恐怖は何かネガティブな観念がベースになった、幻想です。恐怖を感じさせる自分が持っている観念は何かを見つけて手放すことが、大切だと言います。

何かがなければ地獄に落ちるというような、恐怖をベースにしたことはまやかしです。

何もしなければ、今の状態が変わらないということはあります。同じ感覚を持ち続けていれば、同じ状態が続くことはその通りです。それを恐怖というのであれば、恐怖を感じる人は抜け出す準備が出来ているでしょう。
その時も恐怖をベースにしたメッセージではなく「日々をワクワク過ごそう」「より楽しいと思える小さな選択を重ねていこう」ということを言います。「しなければ」でなく「しよう」です。

私たちが身の回りにあることも「しなければ」という感覚で行っていることがあると思います。その多くは「しよう」という感覚に切り替えることが可能です。

いきなり話が変わりますが、皆さんは雪山に行きますか?スキーをする人は分かると思いますが、斜面で恐怖で体が後傾になると、速度があがりコントロールが効かなくなり、転びます。そんな時、恐怖を抑えて前にあえて体を持っていくと、コントロールが出来るようになります。

この前傾、後傾の感覚が「しなければならない」と「しよう」の違いです。
「しよう」と決めることで、体が前に向き、物事を自分でコントロールしようというマインドが働き、コントロールが可能になっていきます。最初は少しずつかもしれませんが、前に心を置くのです。
一方後傾になると「しなければならない」で、追われることになります。状況をさばくことに精一杯になります。これは、言い換えるとコントロールされる、ということです。

前に体を起こすのです。恐怖がベースになっていては良い引き寄せは起きません。足が勝手に動いて転ぶだけです。

ただ、ここで一つだけ付け加えて言っておきたいのが、転ぶということは、止まった。ということです。最悪の事態は避けられたと考えてください。転ぶことで止まれたのです。上手くいかなかったという結果が目の前にある人は、転ぶことで止まれたんだ、と考えましょう。もう一回起きて、次は体を起こして滑り出しましょう。

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